美しさの敵は、案外「姿勢」かもしれない
前回の記事で、
「本当の美しさは、個性の土台の上に、知性や生き方から生まれる内側のエネルギーが重なったもの」
そんな話をしました。
ただ、この内側のエネルギーって、思っている以上にデリケートで。
日常の何気ないクセや、ちょっとしたムダな動作で、少しずつ削れてしまうことがあるように感じています。
その代表例が、「姿勢」なのかもしれません。
ポートレートを撮っていると、何度も同じことを感じます。
顔立ちがとても整っていても、普段の姿勢のクセや、無意識に出てしまうだらしなさが見えると、不思議と魅力が弱くなることがあります。
姿勢は、内面がそのまま出る場所
なぜ姿勢の乱れが、こんなにも印象に影響するのか。
考えてみると、理由はわりと単純かもしれません。
姿勢って、その人の内側の状態が、かなり正直に出る部分なんですよね。
・猫背で、肩が前に入っている
・歩くときに足を引きずる
・椅子に座ると、すぐ背中が丸くなる
こうした動きは、悪意があるわけではなくて、
「まあいいか」と積み重ねてきた小さなムダの結果なのかな、と思うことがあります。
姿勢を保つには、ほんの少し体に意識を向け続ける必要があります。
その小さなエネルギーを使わなくなると、気づかないうちに姿勢は崩れていく。
その積み重ねが、写真にも写ってしまうのかもしれません。
どれだけ光や構図が良くても、日常で生まれたクセまでは、なかなか隠せない。
撮影をしていると、そんなふうに感じます。
背筋が伸びている人が、自然ときれいに見える理由
反対に、背筋がすっと伸びている人は、それだけで印象が違います。
派手な動きがあるわけでもないのに、なぜか目を引く。
たぶんそれは、自分の体を雑に扱っていない、というサインだからだと思います。
姿勢が良い人は、特別なことを一気に身につけたわけではありません。
毎日、ほんの少しずつ、自分の体に意識を向けてきた結果なんだと思います。
その積み重ねが、写真に写ったとき、
「落ち着き」や「芯の強さ」みたいなものとして感じられるのかもしれません。
私がポートレートで撮りたいのは、まさにこういう雰囲気です。
ムダを減らしてきた生き方が、姿勢としてにじみ出ている瞬間。
そしてこの感覚は、バイクを操作するときに大切にしていることとも、かなり近い気がしています。
余計な力を使わず、体と意識をきちんとつないで動かす。
日常のムダを減らした先にある美しさって、案外こういうところにあるのかもしれません。

