走れてはいる。
でも、自分が何をしているのかは、分かっていなかった。
スクールに参加して最初に感じたのは、
「下手だ」とか「足りない」といった話ではありません。
自分の操作に、理由が見えない。
そんな感覚でした。
操作はしている。でも分かっていない
ブレーキは使っている。
アクセルも開けている。
ラインもそれなりに選んでいる。
操作はしている。
でも、分かっていない状態だった。
それは、
「なぜそうしたのか」を考えた結果ではなく、
身体が先に動いていただけ。
うまくいけば、そのまま流す。
うまくいかなければ、次は少し慎重にする。
理由は分からないまま、
結果だけで帳尻を合わせていました。
感覚だけでも走れてしまう怖さ
バイクは、本当によくできています。
多少ズレた操作でも、破綻せずについてきてくれる。
感覚だけでも走れてしまう怖さがあります。
長く乗っていれば、なおさらです。
ただ、その状態はいつも同じではない。
調子がいい日は問題ない。
条件が変わると、急に余裕がなくなる。
それでも当時は、
「今日はこんなもんか」で済ませていました。
分からないのは、言葉じゃなくて理由だった
今振り返ると、
足りなかったのは言語化ではありません。
なぜその操作になったのか、
自分で分かっていなかったこと。
理由が分かっていない操作は、
直そうにも直せない。
良かったのか悪かったのかも判断できない。
だから毎回、
同じところで同じ不安を抱えることになる。
「できているつもり」と「実際」のズレ
スクールで印象的だったのは、
「こうしなさい」という話ではありませんでした。
どちらかというと、
「本当はこうしたい。でも、今はこうなっている」
そのズレを一つずつ見ていく感じ。
バイクの操作のほとんどは、結局のところ「曲げる」ことです。
曲がらない。
思ったように曲げられない。
その原因を、
フォームなのか、視線なのか、入力のタイミングなのか、
一つずつほどいていく。
感覚的には、
バイクが言うことを聞かない理由を探す謎解き
に近かったです。
曲がらないのには、必ず理由がある
自己流の頃は、
「今日は曲がりにくいな」で終わっていました。
でもスクールでは、
曲がらないのは気分でも体力でもなく、
何かが噛み合っていない結果として扱われる。
・思っているより寝ていない
・荷重が抜けている
・入力が早すぎる、遅すぎる
正解を押し付けられるのではなく、
「だから今、曲げられていない」という整理。
この整理が入ると、
操作そのものより、
バイクの反応が急に分かりやすくなりました。
分かると、無理に操作しなくなる
理由が見えると、
無理に何かを足そうとしなくなります。
アクセルを足す前に、
「今は足す段階じゃないな」と分かる。
ハンドルでどうにかしようとする前に、
「それ、違うな」と止まれる。
速くなったというより、
余計なことをしなくなった。
それが一番大きな変化でした。

