リターンしてから、バイク歴は5年になります。
特別に速いわけではないけれど、遅くもない。
事故もなく、普通に走れている。
それでも、ずっと感じていたことがありました。
余裕がない。
スピードの問題ではありません。
怖いわけでもない。
ただ、常にどこか忙しい。
バイクを「操っている」という感覚がなく、
どちらかというと、
バイクの動きと自分のイメージがズレていて、
その動きを邪魔している──
そんな感覚がありました。
自己流は、間違ってはいない
まず、はっきり言っておきます。
自己流が悪いわけではありません。
- 転ばない
- 無理をしない
- 周囲に迷惑をかけない
それができているなら、
公道を走るうえでは十分です。
実際、僕自身も
「下手ではない」
そう思っていました。
だからこそ、
疑問を持ちにくかった。
それでも余裕がなかった理由
余裕がない原因は、
技術不足でも、度胸不足でもありませんでした。
バイクは、ちゃんと曲がる。
止まる。
加速もする。
でも、そのすべてが
「自分のイメージより、先に起きている」。
気づいたらバイクが動いていて、
それに合わせて自分が修正している。
結果として走れてはいるけれど、
常に後追い。
この状態では、
気持ちの余裕は生まれません。
「操っている感覚」がないという違和感
上手い・下手の話ではありません。
速い・遅いの話でもない。
ただ、噛み合っていない。
自分はこう動かしたつもりなのに、
バイクは別の反応をしている。
そのズレを、
力で抑えたり、
無意識に修正したりして走っている。
これが続くと、
走れていても楽ではない。
むしろ、疲れる。
なぜ自己流だと、ここで止まるのか
自己流の限界は、
「ズレていることに気づけない」ことではありません。
ズレていると感じても、
直し方が分からない。
- 今の操作が正解なのか
- どこを変えればいいのか
- そもそも何がズレているのか
判断する基準がない。
感覚だけで走っていると、
確認のしようがないからです。
スクールは、ズレを直す場所だった
ライディングスクールに参加して、
何か特別な技を教わったわけではありません。
フォームが激変したわけでも、
急に速くなったわけでもない。
ただ一つ違ったのは、
操作に「理由」がついたこと。
それまで感覚でやっていたことが、
言葉で整理されていく。
ズレていたのは、
バイクではなく、
自分のイメージだった。
そう気づけたことが、
一番大きな変化でした。
まとめ
走れている。
でも余裕がない。
それは、
自己流でたどり着く、
とても自然な限界だったのだと思います。

