バイク乗りにとって、週末の朝一番のエンジン始動は、儀式のようなものだ。
静けさの中、キーを回し、セルレバーを押し込む。
その瞬間、エンジンの鼓動が目覚める音は、これから始まる一日を予感させる特別な合図だ。
しかし、その朝は違った。
セルレバーを押し込む指先に、いつもの確かな振動が伝わらない。
エンジンは何の反応も見せず、ただ無言のまま佇んでいる。
「嘘だろう…?」
思わず呟きながらもう一度試すが、結果は同じ。
どこまでも静まり返ったバイクを前に、焦りと絶望が胸の奥をじわじわと広がっていく。
週末の朝、エンジンがかからない――バイク乗りにとって、これ以上の悪夢はない。
セルが無反応
セルレバーを押し込む。しかし、反応は――ない。
まるで静寂に包まれたかのように、愛車は沈黙したままだった。
普段ならここで聞こえるはずのわずかな音すらしない。
この異常な静けさに、胸の奥がざわつく。
もう一度、慎重にレバーを操作してみた。
その瞬間、メーターが一瞬ブラックアウトし、かすかにエンジンをかけようとする気配が感じられた。
けれど、その先のセルモーターは相変わらず無反応。
まるで目覚めたくないとでも言っているかのようだった。
何度もイグニッションをON/OFFしながら、ひたすらエンジン始動を試みる。
静かな朝の空気の中で、焦りと諦めが交互に押し寄せる中、突然――エンジンに火が入った。
「おかえり」と思わず呟く。孤独な闘いに勝利した気分だった。
しかし、その安心感は長くは続かなかった。
一度エンジンが始動すればその日は問題なく動作するものの、翌週末の朝になるとまた同じトラブルが待っている。
そして、日を追うごとにエンジンがかかるまでの時間が長くなり、原因がわからないまま不安だけが募り続けていく。
ディーラーでの検査
エンジンがかからない朝を迎えるたびに、焦燥感は募る一方だった。
これ以上放っておくわけにはいかない――そう思い、スマートフォンを取り出してトラブルの瞬間を記録した。
セルレバーを押すたびに、まるで無反応な愛車。
そして、ときおりブラックアウトするメーターの灯り。
ビデオには、まさに「何かがおかしい」という状況が映し出されていた。
その日の、ディーラーのカウンターに立っていた。
「これがそのビデオです」と渡した映像をスタッフが真剣な表情で確認している。
「うーん、これは接点やコンピュータを一通り見てみないとわかりませんね」と言われた瞬間、覚悟は決まった。
しばらく愛車を預けることになる。
その場で書類にサインをしながら、ふと心の中にぽっかりと穴が開くような気がした。
「一週間くらいお預かりしますね」
一週間。それはたった七日間のはずなのに、なんだか永遠に感じられた。
車体をの奥へと運んでいくスタッフを見送りながら、思わずつぶやく。
「頼むぞ、相棒…」
その後の一週間は、なんとも落ち着かない日々だった。
バイクに乗れない週末は、手持ち無沙汰で、何度もディーラーからの連絡を待つ自分に気づく。
やがて、電話が鳴った。
「原因がわかりました。スイッチの接点不良でした。修理は完了しています。」
その声を聞いた瞬間、心の曇りが一気に晴れた気がした。
ディーラーに迎えに行くと、愛車はまるで何事もなかったかのように佇んでいた。
「これで大丈夫ですよ」とスタッフが説明してくれるスイッチの構造に耳を傾けつつも、愛車にまたがるその瞬間をずっと心待ちにしていた。
修理が完了した愛車にまたがり、エンジンをかける。
静かな振動とともに、エンジンが一発でかかった。
久しぶりのその感覚に、思わず笑みがこぼれる。
やっぱり、こいつがいないと始まらないな――心の中でそうつぶやきながら、アクセルを軽く回した。
接点不良の判明
ディーラーからの連絡を受け、いよいよ原因が判明した。
スイッチの接点不良――それがトラブルの核心だった。
最初にその言葉を聞いたとき、私は思わず息を呑んだ。
接点不良? それだけで済む問題だったのか?
しかし、次に続く説明を聞いて、驚きとともに少しだけ苦笑いがこぼれた。
「実は、スライドスイッチの構造に問題があって、接点が擦れていない部分があったんです。」
イタリア製、という言葉が脳裏をよぎる。
そうか、これがイタリア製らしさというものなのか――と心の中でつぶやきながらも、どこか愛嬌を感じていた。
これまでの乗り心地、デザイン、すべてが魅力的で、そんな小さなトラブルすらもどこか愛おしく思えてくる。
スライドスイッチ自体は、数か所の接点があり、そこを通じてエンジンが始動する仕組みだ。
しかし、その接点の一つに「擦った痕がない部分」があると言われたとき、私は思わず笑ってしまった。
まるで最初から動きが悪かったみたいじゃないか――まさに、さすがイタリア製だ。
こういう細かい問題があるからこそ、さらに愛着が湧くのだろう。
修理が終わり、バイクを取り戻したときには、もうそのトラブルさえも一つの思い出となっていた。
ほんの少しの不具合が、愛車への愛情をさらに深めてくれる。
それが、このバイクとの絆の一部になったのだ。
教訓
修理を終えてバイクを取り戻したとき、ふと心に浮かんだのは、あの日のことだった。
あのトラブルが起きたのは、突然ではなかった。
徐々に、何かが少しずつおかしくなっていたのだ。
それに気づけなかった自分を、どこかで責めていた。
あの日、エンジンがかからなかった瞬間を思い返すと、何となく違和感を覚えていたことがあった。
いつもと違う、セルレバーを押す感触。
けれど、その違和感をただの一時的なものだと思い込み、放置してしまった。
「ああ、まさかこんなことになるなんて。」
もし、あのとき少しでも気にしていたら、早期にトラブルを発見できたのかもしれない。
日常的に点検をしていれば、接点不良の兆しも見逃すことはなかっただろう。
修理を終えたバイクに再び跨がると、まるで何事もなかったかのように快調に走り出す。
その感覚が、以前にも増して愛おしく感じた。
こうして無事に回復した愛車を見ながら、私は改めて気づくことができた。
日常点検、早めの異常発見がどれほど大切かということを。
今後は、少しでも気になることがあれば、早めに対処しようと心に誓った。
その小さな気づきが、大きなトラブルを防ぐのだと、あの一件が教えてくれたのだから。
面白なって、
後半は、ほぼ盛った話にしてしまいました。(笑)
おしまい。